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夏季休暇前に、コロナ禍について考えてみた。

その他

コロナ禍になって、約1年半。。。

 

・自粛疲れ

・緊急事態宣言の効果減

・オリンピック開催による緊張感減

・感染者数の数字慣れ

・ワクチンへの信頼度

・その他

 

などなど、いろんな状況下で

 

「もう自粛したって、気を付けたって、状況は変わらないんだったら、元の生活に戻しても良くない?」

 

という風潮が、強いように感じています。

 

 

と言う事で、ちょっと夏季休暇前にコロナ禍について考えてみました。

 

まず、今回のコロナは過去の世界的パンデミック級の感染症(天然痘・ペスト・インフルエンザ各種・SARS・MARS・結核・マラニア等)と比べてどうなのでしょうか?

 

あまり知らないので、いい加減なことは言えませんが、

 

 

7月30日までのデータ(ウィキペディア)によると、世界で431万人の方が亡くなっています。内、日本人が15,327人です。

 

 

過去のパンデミック級の感染症は、何百万人から何千万人の死亡者数が確認されているようです。

 

このままコロナ禍が続いていけば、何千万の死者数も現実のものとなるのかもしれません。

 

この様な中、私たちはどのような行動を選択すればよいのでしょうか?

 

冒頭の理由(もう何しても、感染は止まらない)で、コロナ禍前の生活行動を選択する人と、このまま自粛行動を選択する人と、極端に分類した場合どうでしょう?

 

いずれにしても、両者とも同じ目的があって、表現の仕方が違うだけなのかもしれません。

 

 

これは、アドラー心理学をちょこっと読んで感じている事なのですが、

 

『未知なる変革に対して不安を覚え、それを払拭したいという目的』

 

で、行動選択しているように思うのです。このような考えを「目的論」というのだそうです。

 

この目的を一度持ったならば、世の中の出来事や事実を、その目的に合うように解釈する(見え方や方法、行動選択)ようになり、自分の世界を作り上げていくようになるのだそうです。

 

こういう解釈であってるのかな?

 

 

まあ、『若い女性と老婆』の絵のように、1枚の絵でも二つの解釈がなされて意見が分かれるように、同じ目的でも方法論が割れると言う事ですね。

 

コロナ禍前の生活行動を選択する人は、変わらない前の生活を事実的につくり上げようとしての行動とも見えるし、自粛行動を選択する人は、感染が収まって前の生活になる事実をつくり上げようとしているようにも捉えられます。

 

 

みんな、今の平和で幸せな生活が変わってしまうことが怖いのだと思います。少なくとも、私はそうなので。

 

いろんな著者も、人は理想とする人に代わりたいと願う反面、いざ変わる行動を起こすと、変革の恐怖から尻込みしてしまったり、途中で止めてしまう傾向が強いと、昔から言っています。

 

これは社会構造に当てはめてみても、同じことが言えると思います。なぜなら、その社会は人が作っているからです。

 

 

目的が一緒ならば、自分の選択した行動を信じて行動し、方法論が違う人に対しての批判は止めて、機会があれば、お互いの意見を傾聴し、立場や心情などの理解を深める行動が必要なように感じます。

 

 

しかし感染すると、呼吸困難となり、ものすごく苦しい思いをするそうですから、みんな感染したくないですよね。

 

 

ワクチンが開発されたように、その内、他の感染症と同じく、感染後の特効薬が開発され、感染した後もある程度は安心できる世の中が来ることを信じています。

 

 

技術者の皆さん、頑張ってください。期待しています。よろしくお願いします。

 

 

それでは皆さん、ほんの少し夏季休暇を取らせていただきますので、お休みなさいませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家は人が住んでから初めて家になります。私たちはその空間を「ホーム」と呼びます。

 

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