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建築業界に入るまで①

プライベート

ホームページが7月にリニューアルされ、初めてのブログです。

 

第一回目のブログは、これまで通り、普段の仕事のことや、ウンチクめいた? 仕事や家づくりの事等を書こうかと思いましたが、始まりという事もあって、私が建築業界に入るまでの道のりを、プロローグ的に数回に分けてご紹介させていただきたいと思います。

 

代表挨拶にもありますが、私がこの業界に本格的に入ったのは25歳からでしたので、25歳までのストーリーということになります。

 

では、お付き合いくださいませ(。。)ペコッ

 

 

 

『カントリーや自然が好きになった少年時代』

 

私の育った所は、自然豊かで空気もキレイで。。。いわゆる田舎なのですが、ご想像通り、川で魚を捕ったり、木のツルをロープ代わりに使って、ブランコやターザンの物まねをしたり、赤土で泥団子を作って“割り合いこ”したり、田んぼでは、手づくりバッドで野球をしたりと。。。どっぷり自然に包まれて過ごしていました。

 

そんな風景(青空・雲・緑・土)を、たまに自動車などのラジオから聴こえる、ビートルズやCCR、ボブディラン等の楽曲と重ね合わせて、ボーっとするのが、なんだか落ち着けて好きでした。

 

 

そんな私を、叔父さんたちが可愛がってくれて、スポーツカーに乗せてくれたり、野球観戦に連れて行ってくれたり。。。その車中で、フォークやロックが流れていて、頭に浮かぶのは、木々や川、草原の風景でした。

 

その叔父さん達の1人が、モトクロスをやっていて、はじめてレース場に連れて行ってもらった時には、物凄い衝撃で、

 

カッコいいー!の一言でした。

 

 

 

『モトクロスにのめり込んだ時期』

 

自分もモトクロスをやりたくて、親にお願いしたけど、もちろん危険なモータースポーツという事や、非常にお金がかかることから、許してもらえませんでした。

 

それでも、やりたい! 乗りたい! という思いは抑えらず、

 

危険なスポーツ。。。ということは、どうしようもないけども、資金だけは何とかならないかと考え、当時小学生だった私は、ヤクルト配達、クロレラ配達、新聞配達などのバイトを掛け持ちで行う事にしました。

 

1年くらい経って中学生になるころ、やっとバイクも買えるところまで資金が溜まってきた時、両親からサプライズプレゼントがありました。そう、私が欲しがっていたモトクロッサー(バイク)でした。

 

これは嬉しかったですねぇ。この時、本当の「ありがとう」の意味を学ばせてもらいました。

と同時に、「強い思いは、どんな形であれ実を結ぶ」という考えが芽生えた時でもありました。

 

それからはもう、バイトとモトクロス漬けの毎日でした。

 

 

 

しかし困った問題が!

 

当然、車の免許なんかなかった私は、レース場へ連れて行ってくれる人もいない状態(叔父さんは引退していた)でしたので、知り合いの大人達に、片っ端からお願いして連れて行ってもらっていました。

 

相変わらず資金も少ないので、お昼代を燃料代(ガソリンやオイル)やレースのエントリー代に回して、やり過ごしていました。

周りの大人たちは、親切な人たちばかりで、たまに奢ってくれたりして、すごく助かっていました。その節は、ありがとうございました≦(._.)≧

 

そんな日々を過ごしていた中学2年の時、あるモトクロスのチームの人たちと知り合い、加入させてもらえるようになりました。

 

そのチームは、サポート体制もしっかりしていて、バイクや燃料、遠征費、運搬、トレーニングメニューまで、全部サポートしてもらえるようになりました。

 

そこから、もっともっとモトクロス漬けの毎日になります。

 

 

学校も、3日/週くらいしか行けなくなりました。

 

そんなある日、広島へ遠征へ行った時、レース中に転倒してしまい、右大腿骨複雑骨折という大怪我をしてしまいました。手術を行い、大きく長い鉄の棒が、右の太ももにハメられ、3カ月の入院を余儀なくされました。

 

当時、中学3年生だった私に、周りからは「もう、やめなさい!」という声を、学校の先生はもちろん、大人達からシャワーのように浴びせられました。

 

それでも、当の本人は全くその気はなく、むしろ、高校も行かずにモトクロスに邁進するつもりでした。

 

その事を親に話すと、「(モトクロスは)やめなさい。」とは、一言も言わなかった両親でしたが、「好きな事を思いっきりやるのは良いことだけど、高校だけは行って欲しい。これは、お願いだ。」という風に言われました。

 

これまで、わがままに好き放題させてもらっている両親に対して、「お願い。」とまで言わせてしまっている自分が、すごく嫌に思えて、高校受験だけは受けるようにしました。

 

 

 

『限界を感じて』

 

無事? 高校生となっても私は相変わらず、モトクロス漬けの毎日を過ごしていました。しかし、一度大怪我をした私は、感覚がズレてしまったのか、怪我を繰り返すようになり、チームからも戦力外通告を言い渡されました。

 

プライベートになった私を、最初は反対していた両親が、今度はサポートしてくれるようになりました。

 

 

高校2年の暮れ、それでもまた怪我(左手骨折)をしてしまい、両親からもついに「もう、やめたほうがいい。」との声が出ました。

 

周りを見渡せば、英才教育を受けた小学生のちびっこが、どんどん追いついてきているし、怪我続きでメンタル的にも弱っていた私は、素直に両親の意見を取り入れて辞めることにしました。

 

-つづく-

 

 

 

家は人が住んでから初めて家になります。私たちはその空間を「ホーム」と呼びます。

 

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